許認可申請、契約書作成、起業支援は、さいたまのおがわ行政書士事務所へ。元新聞記者の女性行政書士が丁寧にサポートします!

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プロフィール

こんにちは。さいたま・浦和のおがわ行政書士事務所、小川京子です。

「なぜ行政書士になろうと思ったのですか」。開業してからよく聞かれます。特に私の場合、おがわ行政書士事務所の柱の一つは、「女性の起業・開業支援」です。これは、自らの経験をもとに、働く女性のお手伝いをすることができたらと思ったからです。

女性の人生、いろいろな選択肢が増えました。学校を卒業してから就職、結婚、出産、育児というコースが一般的だった時代も今は昔。そこから進化し、結婚してもしなくても、子どもがいてもいなくても、自分らしい人生を送る人が増えてきました。

仕事もそうです。正社員、パート、契約社員、派遣といった雇用される働き方だけでなく、自分らしく働きたいという思いから起業・開業という働き方を選ぶ人が増えてきました。

起業・開業という働き方は、自分で時間の使い方を決められるので、育児や介護などプライベートなことにも時間を割きたい人にぴったりです。自分で働く時間を決め、自分のやりたいことができる楽しさがあります。でも、自分ですべてを決める分、責任も取らなければいけません。勉強しなければいけないこと、大変なことも多い-というのが、私自身の実感でもあります。

では私の場合、なぜ行政書士になったのか、起業という道を選んだのか。これから自己紹介を兼ねて書いていきたいと思います。

 

記者の仕事は天職だと思っていました。

大学を卒業後、地元の富山に戻り、就職した新聞社。毎日いろいろな人に会い、事件を追い、取材し、記事を書くという記者の仕事は、ハードでしたが刺激的で楽しい日々でした。日付けが変わるまで働き、休みがつぶれても、まったく気になりませんでした。

 

新聞記者というと、事件や事故を取材する人というイメージが強いと思います。私も自分の担当エリア、分野で大きな事件や事故が起きたときは、家に帰る時間もなく取材を続けました。今思うと、よく体力気力が続いたものだと思います。でも、いかに他紙より早く、いかに他紙にはないネタを掲載するかという「抜いた抜かれた競争」に身を置いていると、本当に寝る時間も惜しい、もったいないという気持ちになるものです。私もそうでした。それらは「生(なま)ニュース」と言われ、新鮮さが勝負です。特ダネを連発する記者もいて、彼らには努力だけではかなわない瞬発力や華やかさのようなものがありました。

 

一方、私にはそんな華やかさはあまりなかったように思います。私が好きだったのは、連載記事の仕事です。テーマを見つけ、取材相手と対話を重ねながら内容を掘り下げ、文章にまとめる。地味ですが、地道に物事を積み重ねていくやり方が、私の性格に合っていたのでしょう。取材対象の魅力を象徴するエピソードや言葉を探り当てる、宝探しのような面白さもありました。そして、紙上キャンペーン取材班での長期連載や、人物像や群像を紹介する連載、地域おこしをテーマにした連載など、数々の連載記事を書く機会に恵まれました。

 

書く仕事はずっと続けていこう。そう思いながら毎日が慌ただしく過ぎていきました。仕事漬けの日々に、時折、「これでいいのか」という思いが頭をもたげてきます。でも目の前の忙しさにだけ目を向けていれば、とりあえず時間は過ぎていきました。

 

ある日、アメリカに渡った高校時代からの友人が現地の人と結婚することになり、サンフランシスコでの結婚式に招待してくれました。何でも仕事中心に考えていた当時の私は「ごめん、仕事で行けない」。友人だからそれで分かってくれると思っていました。ところが彼女から返ってきたのは、当時の私には意外な答えでした。「仕事ばっかりで友達の結婚式にも行けないなんて・・・何のために仕事をしているの?」。

 

ハッとしました。人生を豊かにするために仕事をしていたはずだったのに、いつの間にか仕事のための人生になっている・・・。

 

それから数年後、私はついに体調を崩してしまいます。体調が悪くなると、心も調子が悪くなります。このまま続けると私は体も心も壊してしまう・・。そう思った私は、会社を辞める決断をしました。

 

会社を辞めた後、私は、何か一生の仕事にできるような専門性を身につけたいと思いました。これまで会社に行くことで成り立っていた生活、自動的に振り込まれてきたお給料、それらは全部ありません。その上で、これから生計を立てていくには、ただ「書く」ということだけでは足りず、何か専門性が必要だと感じていたのです。

 

「法律を学びたい」と思ったのは、当時創設されて間もなかった法科大学院の話題を、ニュース等でよく耳にしていたせいかもしれません。

 

法科大学院に入学したことで、私の生活は一変しました。大学は人文学部だったため、法律は教養科目としてしか学んだことがありません。まさにゼロからの出発です。法科大学院には、法律を学んだ人が入る「既修コース」と、法律を学んで間もない人のための「未修コース」があり、私はもちろん「未修コース」に入りました。

 

入ってみると、「未修」とはいえ、実際は法学部出身者や司法試験の受験勉強を何年もしていた人がほとんどでした。私のように本当に勉強しないで入ってきた人は「純粋未修者」と呼ばれて区別され、ほんの数人しかいませんでした。

 

そこでは仕事の経験も知識も役に立ちません。当然、授業についていくのもやっとです。そんな私に手をさしのべてくれたのは、同期で入学した仲間たちでした。大学卒業後間もない若者、司法試験をずっと勉強してきた人、私と同様に仕事を辞めて入学してきた元社会人、子育て中のママさん・・・。そこでは年齢も性別も職業も関係ありません。授業が終わった後、一緒にゼミを組み、議論し、法律について少しずつ理解を深めていきました。

 

ある教授が「法律を理解することは、らせん階段を昇るようなものだ」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。一通り勉強をして理解したと思っても、それはまだまだ序の口。また一周回って少し上に上り、また一周回って少し上に上り・・・の繰り返しです。でも、少しずつ法律が分かってくると、だんだん面白くなってきます。私は自分の学生時代はあまり真面目ではありませんでしたが、学ぶことは楽しいと初めて思いました。

 

ロースクール卒業後のゴールは、新司法試験に合格して法曹(弁護士、検事、裁判官)になることです。そして同期の仲間のほとんどは弁護士志望でした。でも私の場合、果たして弁護士になりたいかというと、それはちょっと違うと感じていました。法廷で争う弁護士になるのではなく、もっと身近な所で世の中の役に立ちたいーと考えていたからです。 

 

それは、私の父が従業員10人ほどの小さな自動車修理工場を営んでいたことが関係するのかもしれません。父が法律のことや複雑な手続のことで苦労していた姿は、子供心に何となく覚えています。「ちょっとした法律の疑問に答えてくれたり、アドバイスしてくれる人がいたら助かるのになあ」。父が何かのタイミングで言った言葉を時々思い出していました。

 

何とか単位を落とさず2年生を終え、3年生を迎えるころ、私は縁あって結婚することになりました。結婚後、幸い子供も授かることができました。赤ちゃんはとても可愛く、ずっと見ていても飽きませんでした。私の中で何か今までにないスイッチが入ったようでした。

 

でも可愛いだけでは、子育てはできません。母乳の出が悪いと悩んだり、赤ちゃんの夜泣きにハラハラしたり、ちょっと高熱が続くと大丈夫かとドキドキしたり・・・。今思えば赤ちゃんの一挙手一投足にあんなに大騒ぎしなくてもよかったと思いますが、当時は一つひとつに必死です。でも私も夫も地方出身、親も遠方に住んでおり、近くに頼れる親戚はいません。初めての子育てにしばらくは精いっぱいでした。

夫も何かしなければと思ったのか、夫の会社で第1号となる育児時短を取ってくれました。とはいっても、日中は仕事に行っているので、特別なことをしてくれるわけではありません。でも、夕飯を一緒に食べれるようになり、お風呂に入れてくれて、時には夜泣きに付き合ってくれるだけでも、ずっと赤ちゃんと二人きりの生活だった私には精神的にとてもありがたいことでした。

 

日中は子育て支援センターなどで過ごすうちに、赤ちゃん連れで一緒にお出かけをするママ友も何人かできました。気軽に話せる知人・友人が増えてくると、孤独感がなくなり、育児がだんだん楽しくなってきます。やっと育児のペースがつかめてきたなぁと感じてきたころ、今度は支援センターで顔を合わせるママさんたちがだんだん減ってきました。彼女たちは会社の育児休暇を終え、次々に仕事に復帰し始めたのです。

 

ママ友が復帰する話を聞いて、私の心はざわざわしました。子どもにはまだまだ手がかかるし、自分で面倒も見たい。でも、ずっと働いていた私にとって、仕事をすることのほうが自然なことです。私も、少しずつでもいいから仕事をしたいと思いました。そんな思いで、自宅近くの認可保育園を訪ねました。おじいちゃんおばあちゃんの支援は望めないし、自分で子供の面倒もみたいので、短い時間から働き始めて徐々に時間を増やしていきたい。そんな話をしたところ、担当の保育士さんが親切に教えてくれました。さいたまは子育て世代が多く、認可保育園は、フルタイムで働いていても入れない待機児童が大勢いること、保育園に入れるためにペーパー離婚をしたり住まいを変える人さえいるということ・・・。

 

暗澹たる気持ちになりました。子育てしながら女性が働くには、フルかゼロかの選択肢しかないのか。ところが、相談したママ友がこんな話を教えてくれました。「認可には入れなくても、さいたま市が独自に補助を出してくれる保育園があって、そこではパートなど短時間で働いている人もたくさんいるよ」。早速いくつかの園を見学に行くと、認可保育園ほど園庭や教室は広くはありませんが、少人数制で保育士さんがとてもあたたかく家族的な雰囲気の保育園が、通える範囲にありました。手作りの給食がとても美味しく、体験入園したとき、息子が家では食べない野菜もペロッとたいらげたことが決め手になりました。私は保育園に子供を預け、司法書士事務所でアルバイトをスタートさせました。

 

新しく働き始めた司法書士事務所は、子育てママにとって大変ありがたい職場でした。規模の大きな司法書士事務所だからできることではありますが、女性が育児をしながら働くことにとても理解があり、子どもの急な発熱や胃腸炎などの感染症のとき、快く仕事を休ませてくれました。小さな子供を持つ似たような環境の人が何人もいて、お互いに励ましあいながら仕事ができたことも大きかったです。私は相続手続きを担当していましたが、アルバイトの私にもスキルアップの機会を作ってくれるなど、やる気があれば社員・アルバイトを問わず挑戦するチャンスをくれる理想的な職場でした。

 

子どもが小さいので今は働く時間は短いけれど、少しずつ時間を伸ばし、少しずつ経験を積んでいこう。そう思っていた矢先、夫の県外への転勤が決まりました。あぁ、せっかく働きやすくやりがいのある職場を見つけたと思ったのに・・。残念な気持ちでしたが、家族の時間には代えられません。3年間との期限付きだったこともあり、子どもと3人で一緒に行くことを選びました。

 

再び夫の転勤でさいたまに戻ってきたとき、私は、今度こそ腰を据えて働こうと思いました。以前働いていた司法書士事務所を辞めるとき、大変ありがたいことに「戻ってきたらまた声をかけて」と言ってもらっていました。でも私には一生のうちにいつかやってみたいことがありました。それは、小さくてもいいから自分で事業主になることです。

 

会社員として雇用される働き方は新聞記者時代に十分味わったから、残りの人生で一度は事業主として働いてみたいー。それは、以前にも書きましたが、実家の父が小さな自動車修理工場を営んでいて、自分ですべてを決めて仕事をしている姿を見ていたせいかもしれません。人生のいつかの時点で私もチャレンジしてみたいという気持ちが、ずっと心の中にありました。そして、せっかくロースクールで学んだことを、無駄にしたくないという思いも。

 

起業するなら、このタイミングかなー。強い気持ちがこみ上げました。新聞記者として経験したこと、ロースクールで学んだこと、今も真っ最中の子育て。今の自分に何ができるのかを考え、「書くこと」×「法律」をテーマに始めてみることにしました。そしてそれを事業として成り立たせるには、前に取得していた行政書士の資格が生かせるのではと思いました。

実のところ、前向きな理由ばかりではありません。保育園探しの壁に直面したことも要因の一つです。地元の区役所に行って認可保育園に入れるかどうか聞いてみると、「フルタイムの方でもお待ちいただいています」との答えでした。フルタイムで働かなければ保育園に入れないとしたら、子どもとの時間はあまり取れなくなります。私の場合、祖父母は遠方なのでフォローはあてにできません。自分で育てるため育児にも時間を取りたいとなると、自分で働く時間を決められる個人事業主としての働き方が一番現実的ーと考えました。

 

そして、3年前と違うのは、子どもが幼稚園に入れる年齢となっていたことです。働くママのために預かり保育を充実させている幼稚園もあると教えてもらい、私は預かり保育を利用しながら幼稚園に入れるという選択をしました。

 

人生は偶然と選択の連続です。そのときは残念なことと嘆いていても、後になってみるとそこが分岐点で今につながっているということもあります。あのとき体調を崩していなかったら新聞社を辞めることもなかったし、あのとき夫が転勤にならなかったら居心地のいい職場で今もアルバイトとして働いていたかもしれない。あのとき保育園にすんなり入れていたら、自分で開業することは後回しになっていたかもしれません。この選択がよかったかどうかは、後になってみないと分かりません。でも一歩踏み出したことで、新しい世界が広がりました。

 

私はこのように起業という働き方を選び、行政書士になりました。今後は、女性が自分らしく働くためのお手伝いをすることをライフワークに活動し、そして、働く女性の子供たちが笑顔で日常を過ごせるよう子育て事業を支援したいと考えています。事務所のロゴマークに願いを込めたように、すべての人に笑顔が広がり、人の輪が広がっていきますようー。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。